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Esfahan nesf-e jahan

朝早く起きて、一日をどうしようか考えた。

迷っていた事はこう。基本的に、選択肢は2つ。

1つ目は、Tehranに残って街をまわるか。

2つ目は、さっそく移動し Esfahan イスファハーンに行くか、だ。

イランを最後に出るときまたホメイニ空港から出る為、Tehranには戻ってくる。急いでも仕方ないからまずは Tehranに腰を据えるか。

それとも、短い日程の中で時間を有効に使う為に、とりあえず次を目指すか。

しばらく考えた結果、後者、つまりEsfahanに向かう事にした。理由は、その街がイラン最大の見所の一つであるEsfahanに、早く行きたかった、からだと思う。

8時すぎに宿を出発し、地下鉄に乗って南バスターミナルへ向かった。

9時にはバスのチケットを買えたのだが、バスが出たのは10時だった。

1時間に1本は出てる、しかもいくつかのバス会社が同じルートを走らせてるバスのはずなのに、意外と満席になった。

もちろん、僕の隣りにはイラン人のむさい男。でも、逆側には窓越しにイランの景色が見えてくるはずだ。

少しうきうきしながら、Esfahanへの移動が始まった。僕は結構、バス移動が好きみたいだ。

この日は天気が良かった。大都会であるTehranから少し離れれば、青い大空が広がる、雲が泳ぐ。早起きしたけど車内で寝る事はなかった。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - -

6時間の移動の後、Esfahanに到着。

決めていた宿まではタクシーを拾えばすぐだが、やはり市内バスを使いたかった。とはいうものの、どのバスに乗ればいいかわからない。

分かっていた事は、到着したバスターミナルが街の北にあり、宿はそこから南にある事。そして、その出発地と目的地が一本の大通りによって繋がれている事だった。

歩けば迷う事はないだろうけど…と考えていた僕に、ある男性が声をかけてきた。

Tehranからのバスで僕の隣りに座っていた人だ。

英語もほとんど喋れないのに、僕が行きたい宿を理解してくれ、バスまで誘導してくれた。僕がバスに乗ったのを見届け、『Welcome to Esfahan』という言葉だけ残し、彼はどこかに消えて行った…

そのままバスは大通りを曲がる事無く、ひたすらまっすぐ走った。

宿が見えると、次の停車場で降りようとしたのだけど、まだバスの料金を払っていなかった。運転手に訊くと、『いいから』と、なぜかいくら払えばいいかを教えてくれなかった。

そんなわけにもいかない僕は、とりあえず手に握っていた10,000リアル札を渡した。100円程だ。運転手はなぜか苦笑いをし、僕を降ろしたバスを再び運転していった。

【なんなんだ、この国の人たちは…】

そう思わざるを得なかった。

優しい…のか?

- - - - - - - - - - - - - - - - -

宿にチェックインできたのは17時前だった。その頃にはもう、日が暮れかけていた。

少し休んでから外に出たのだが、やはり真っ暗。でも、経験からわかるものなのか、危険な匂いはしなかった。

Esfahanには有名な広場がある。エマーム広場という、モスクや職人街、土産物屋などが存在する広大な広場だ。イラン人も外国からの観光客も、Esfahanに来たならば必ず訪れるであろう場所だ。

宿から徒歩20分程だろうか。他の場所よりもひと際輝く広場が見えて来た。

かつて『Esfahan nesf-e jahan イスファハーンは世界の半分』とまで謳われた、まるで一つの劇場の様な広場が、そこには広がっていた…

image

shin

イランへ。

結論からはっきり言うと、僕はイランが大好きになった。

それはこの国の雰囲気や慣習、物価の安さもそうなんだけど、決定打となったのは、やはり『人の優しさ』だったように思う。

11/6 火曜日

イランの首都テヘラン市内から50kmほど離れたテヘラン・ホメイニ 国際空港に僕は到着した。

最初に目に入るのは、空港内に表示されているペルシャ文字だ。文字自体はアラビア文字自体とほとんど相違はないようだけど、自分が今イランにいることを感じた。

入国審査は、妙に緊張した。

イスラエルには行ったけど入国スタンプは貰わなかったからイランの入国には何も問題はなかったのだけど、これからイランの旅が始まるのだと思うと、少し身体が固くなった。

列に並んでいると、近くのイラン人のおじさんが声をかけてきた。彼はイスラム服を身に纏いターバンを被っていたが、英語が流暢だった。

『どこから来たんだ?』

そう優しく訊ねてきてくれた。ただ、この質問はこの後毎日訊かれることに。笑

テヘラン市内へはバスを使った。バスはほぼ満杯だったが、何とか一つだけ空いていた席を確保した。中にいた人たちが僕の荷物を乗せるのを手伝ってくれた。

隣りと前に座っていた男性2人が話をしていた。彼らはトルコ人だった。

日本人の僕は周りの視線を感じる様になる。

すると、斜め後ろから僕に日本語で話しかけてくる人が現れた。

『ワタシハニホンニスンデイマシタ』

彼の名前は Ali アリ。20代後半で、大阪で物理学を勉強し大学院に通っていたと言う。おそらくエリートなのだろう。日本語より英語の方がいいと言って、英語で会話をしたけど、日本語も十分にできるはずだ。

僕は Ali に行き先を告げると、どこで降りればいいかを教えてくれた。そこで彼もバスを降り、ここからはタクシーで行けばいい、とタクシーも拾ってくれた。

そういう Ali は自分の家がイラン北西部の町、Tabriz だと言い、バスターミナルに向かうと残しそこで別れた。

イラン人は優しい。これだけのことでは言えないけど、そんな予感がした。

と同時に、Ali が僕に最後に言った、

『Don’t trust anyone』

この言葉は、少し僕を身構えさせた。

タクシーに乗って少し歩き、宿の Mashad Hotel に着いた。

昼過ぎから外にでて、まずはバザールに向かった。特に探しているものも無かったが、人々の雰囲気、活気を感じ、そして自分の足でこの地を歩きたかった。

『チン!』と僕に声をかけてくる人がたくさんだ。みんな僕を中国人だと思ってる。

でもそんな事はもう気にしない自分。

笑って『ジャパーン』というだけで、向こうも『おお、日本人か!』と笑ってくれる。

イラン、いいよ。バスで感じた臭さや、バザールのうるささ。

この感じ、大好きだな。

shin

これからイランの話をしよう。

昨年の11月、イランに行ってきました。

なぜイランに行ったのか。行く必要があったのか。きっかけは何だったのだろうか。

その問に対する答えは、いつも通り感覚のみが知るものだった。

それは自分の謎に満ちた国への好奇心だったり、ひとから聞いた情報によるものだったり、単なる現実逃避だったりする。

でも、この中だと、ひとから聞いた話によるものが大きかったのかな、と思う。

それはエディンバラで出会ったドイツ人の Phil から聞いた話。

今まで旅行した国の中でどこが一番よかったか、という旅行者の間では必ずや訊くような質問に、彼は即座に『イランだね』と答えた。

他の人のブログなども読んでみると、イランについて悪い印象を持っている人が見当たらない。

みんなそろって、『いい国だ』『人が親切』『また来たい』と書いていた。

でも、普段生活している中で、僕たちがイランに対して抱いている印象はどういうものだろうか。

『反米・反イスラエル』『核兵器』『怖い』『テロ』…

このような言葉が並ぶのではないだろうか。

メディアの影響だろうか、僕自身も、どうしてもイランに対する先入観は、こういったものだった。

しかしやはり自分の性格を一番わかっているのは自分自身なわけで、『行って確かめたい』という想いが何よりも強かった。

そして行ってきました、イラン。

shin

あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。
– 村上春樹『風の歌を聴け』

Eastern Europe ~ Balkans. 2012 Spring

こんなルートでした。


より大きな地図で Krakow-Athens を表示

今考えても急ぎすぎな道程。笑

shin

自分のポジションで。

『人は与えられたポジションで成長する』

先日父に言われた言葉。

就職活動で「私は御社でこんな仕事がしたいです!」とアピールする事があるけど、

そして自分も言うけど、

自分にとってはそこまで大きな意味を成さないと思う。(もちろん、その会社で何がやりたいという明確なビジョンがある事は大事)

『人は与えられたポジションで成長する』

僕は、何がやりたいという事をアピールするよりも、自分に与えられた仕事に対して真摯に向き合って、いかにそれを今後の人生に繋げられるか、を大事にしたい。

今、就職活動というポジションを与えられてるとするなら、背を向けたくはないな。だから自分が納得いくようにやろうかなーなんて思ってます。

地に足をつけて。

shin

挫折は過程。最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ。
– 本田圭佑

答えはない、という答え。

日本で就職活動をするにあたって、必ず訊かれるであろう質問は【なぜ留学したのか】ということだと思う。

なぜ、就職氷河期とも言われるこの時期に留学をしたのか。なぜ、学生の内向き志向が指摘される中、自分は留学をしたのか。

正直に言うと、それは僕自身が一番知りたい。笑

けど僕以外に知り得る人はいないわけで、自分で探す以外に他はなかった。

以前も少し書いた記憶があるけれど、僕は留学期間中、この問いに対する答えを見出そうと、事あるごとに自分自身に問い続けてきた。

新しい人と出会う度、知らない価値観に触れる度、ベッドで横になって目を閉じる度…。

もはや、習慣にさえなっていたように思う。

でも、

答えは見つからなかった。

- - - - - -

これを読んでくれている人からすると、一年卒業を遅らせて、色んな人に迷惑をかけて、自分が留学をした理由さえわからないなんて、失礼なやつだと思うかもしれない。

自分でもそう思って葛藤を抱えていた時期があった。

ただもちろん、表向きな理由はあった。

英語力を伸ばしたい、国際交流がしたい、親元を離れて自立したい、とか。でも、そんなのは正直どうでもよかった。

表向きなものとは別の、もっと自分の中にある理由を知りたかったから。

直感を辿ることだってできるはず。本能にも、何かしらの訳があるはずだと思ったから。

- - - - - -

そもそもこう考え始めたきっかけとして、ある出来事を鮮明に記憶してる。

それは大学3年の秋、まだ留学が決まってもいない頃。留学の書類は提出していたものの、本当にこれでいいのか、行くべきなのかを迷っていた。同時に、就活も少しずつ始めていた。

当時、学内の就活イベントで先輩内定者との相談会みたいなのがあって、そこで他のみんなが就活のノウハウや企業選びのポイントなどを質問している中、

僕が『そもそもなぜ就活をしようと決めたんですか?』と質問したら、嫌な意味で心に刺さる答えが返ってきた。

『3年の秋からは就活して当たり前。それ以外に何があるの?』と。

その言葉は、留学に近づけたとは言えないものの、僕を就活から遠ざけたのは事実。初めて異国に来たかのような違和感、孤独感、自分が場違いな感じがした。

今でもあの場面を思い出すと胸くそ悪いくらい。

それ以来、『当たり前とは何なのか』という疑問が頭から離れなくなった。このまま当たり前のように就活して、卒論を書いて、卒業して、就職して…それが日本らしいということなのか。

単純に僕が日本人らしくない日本人なのか。違和感を感じつつ、日本人らしく就活するのか。

それともらしくない日本人として、違うことをするか。

留学なんて大した事じゃないし、偉くもない。でも、僕が自然と辿り着いた場所は、エディンバラだった。

- - - - - -

結局僕が漂着した先は、【答えはない】という答えだった。

そして今までの自分が、答えばかりを追い求めていたということに気がついた。

1 に 1 を足すと 2 で、2 に 2 をかけると 4 だけど、何だか、自分はこんな簡単な計算のように、人生も歩んでいこうとしていた気がする。

順風満帆な人生なんてあり得ないんだろうし、答えの見えた人生なんてきっとつまらない。

何事も答えを見出そうと努めることは良いこと。ただ、答えが見つからなかったとしても、そのプロセスがいずれ活きてくる。考えるという行為自体が、何よりも大切だということがわかった。

- - - - - -

結果として【なぜ留学したのか】という問いにははっきりと答えることは出来ない。

もしかしたら10年後、20年後になって初めて気付くことかもしれない。或は一生わからないことかもしれない。

でも、それでいい。

今ではすごく、納得してる。

shin

—自分で読んでみたけど、いまいち何を言ってるのかがわからない。笑—

素敵な友人、後輩と再会。
不思議と、留学行く前にみんなと最後にいつどこで、どんな場面でさよならを言ったのかをはっきりと覚えてる。
他の人はあまり覚えてないけど。会えば思い出すかなぁ。笑

素敵な友人、後輩と再会。
不思議と、留学行く前にみんなと最後にいつどこで、どんな場面でさよならを言ったのかをはっきりと覚えてる。
他の人はあまり覚えてないけど。会えば思い出すかなぁ。笑

I’M BACK BABY

という言葉を、前年度に留学していた友人が日本に帰国した際に Facebook でほざいていました。

僕にはそんな自己顕示欲満載なことを出来るはずもなく、Lady Gaga 並みに極秘で日本に上陸しました。

ただ、Lady Gaga と違って僕はしばらく日本にいる予定です。Gaga はすぐどっか消えちゃうから。

あと僕と Gaga との違いと言えばせいぜい、あのグラマラスなボディと異常なまでの歌唱力くらいですかね。

僕どんだけファッションセンス奇抜なんだろう。

- - - - - -

Lady Gaga といえば、その奇想天外なセンスとアーティストとしての抜群の能力で、老若男女・国籍問わず世界中でその名を知られるスーパースター。

Gaga が奏でるパワフルな音楽と人々の心を鷲掴みにする歌詞は、混乱に満ちた世界をひとつにするのではと思う程の影響力を持つ。

それにより得た地位と財産を利用して何をしでかすのだろうと思いきや、なんと Gaga は数多くの社会貢献活動を始めた。

エイズ撲滅活動を始めとして、貧困支援、ハイチや東日本大震災の復興支援にも名乗りを挙げた。

僕たち日本人は、Gaga に対して感謝してもしきれない。しかし彼女は何も見返りを求めない。

Gaga が世界中から賞賛を浴びる所以は、ここにあると僕は思う。

つまり、どれだけの才能を持ち、それを武器に成功し、名声を得たとしても、自分自身に溺れず、謙虚且つ大胆に、世の中に貢献していく。

これが、彼女の根幹にある部分だと僕は思うんでs 、

って違う!!!

僕がしたいのは LADY GAGA の話ではない!!!!!!!!!

『Gagaはさ〜』とか言ってるけど、正直全然詳しくもない!!!

僕が言いたいことは、こういうことです!!

やっぱりGaga は、David Bowie と Stevie Wonder の影響を強く受けているけど、中でも Queen の色は確かに濃いと思うんだよね。ほら、Lady Gaga っていう名前も、Queen の Radio Gaga って曲からとってるのは明らk…

ってもっと違う!!

しつこい!!!

僕が言いたいのは、こうです。

— 日本に帰ってきました。ただいま。—

- - - - - -

Lady Gaga には、新曲として『 I’M BACK BABY 』を発表してくれることを期待してます。

shin

Esfahan nesf-e jahan

朝早く起きて、一日をどうしようか考えた。

迷っていた事はこう。基本的に、選択肢は2つ。

1つ目は、Tehranに残って街をまわるか。

2つ目は、さっそく移動し Esfahan イスファハーンに行くか、だ。

イランを最後に出るときまたホメイニ空港から出る為、Tehranには戻ってくる。急いでも仕方ないからまずは Tehranに腰を据えるか。

それとも、短い日程の中で時間を有効に使う為に、とりあえず次を目指すか。

しばらく考えた結果、後者、つまりEsfahanに向かう事にした。理由は、その街がイラン最大の見所の一つであるEsfahanに、早く行きたかった、からだと思う。

8時すぎに宿を出発し、地下鉄に乗って南バスターミナルへ向かった。

9時にはバスのチケットを買えたのだが、バスが出たのは10時だった。

1時間に1本は出てる、しかもいくつかのバス会社が同じルートを走らせてるバスのはずなのに、意外と満席になった。

もちろん、僕の隣りにはイラン人のむさい男。でも、逆側には窓越しにイランの景色が見えてくるはずだ。

少しうきうきしながら、Esfahanへの移動が始まった。僕は結構、バス移動が好きみたいだ。

この日は天気が良かった。大都会であるTehranから少し離れれば、青い大空が広がる、雲が泳ぐ。早起きしたけど車内で寝る事はなかった。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - -

6時間の移動の後、Esfahanに到着。

決めていた宿まではタクシーを拾えばすぐだが、やはり市内バスを使いたかった。とはいうものの、どのバスに乗ればいいかわからない。

分かっていた事は、到着したバスターミナルが街の北にあり、宿はそこから南にある事。そして、その出発地と目的地が一本の大通りによって繋がれている事だった。

歩けば迷う事はないだろうけど…と考えていた僕に、ある男性が声をかけてきた。

Tehranからのバスで僕の隣りに座っていた人だ。

英語もほとんど喋れないのに、僕が行きたい宿を理解してくれ、バスまで誘導してくれた。僕がバスに乗ったのを見届け、『Welcome to Esfahan』という言葉だけ残し、彼はどこかに消えて行った…

そのままバスは大通りを曲がる事無く、ひたすらまっすぐ走った。

宿が見えると、次の停車場で降りようとしたのだけど、まだバスの料金を払っていなかった。運転手に訊くと、『いいから』と、なぜかいくら払えばいいかを教えてくれなかった。

そんなわけにもいかない僕は、とりあえず手に握っていた10,000リアル札を渡した。100円程だ。運転手はなぜか苦笑いをし、僕を降ろしたバスを再び運転していった。

【なんなんだ、この国の人たちは…】

そう思わざるを得なかった。

優しい…のか?

- - - - - - - - - - - - - - - - -

宿にチェックインできたのは17時前だった。その頃にはもう、日が暮れかけていた。

少し休んでから外に出たのだが、やはり真っ暗。でも、経験からわかるものなのか、危険な匂いはしなかった。

Esfahanには有名な広場がある。エマーム広場という、モスクや職人街、土産物屋などが存在する広大な広場だ。イラン人も外国からの観光客も、Esfahanに来たならば必ず訪れるであろう場所だ。

宿から徒歩20分程だろうか。他の場所よりもひと際輝く広場が見えて来た。

かつて『Esfahan nesf-e jahan イスファハーンは世界の半分』とまで謳われた、まるで一つの劇場の様な広場が、そこには広がっていた…

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shin

イランへ。

結論からはっきり言うと、僕はイランが大好きになった。

それはこの国の雰囲気や慣習、物価の安さもそうなんだけど、決定打となったのは、やはり『人の優しさ』だったように思う。

11/6 火曜日

イランの首都テヘラン市内から50kmほど離れたテヘラン・ホメイニ 国際空港に僕は到着した。

最初に目に入るのは、空港内に表示されているペルシャ文字だ。文字自体はアラビア文字自体とほとんど相違はないようだけど、自分が今イランにいることを感じた。

入国審査は、妙に緊張した。

イスラエルには行ったけど入国スタンプは貰わなかったからイランの入国には何も問題はなかったのだけど、これからイランの旅が始まるのだと思うと、少し身体が固くなった。

列に並んでいると、近くのイラン人のおじさんが声をかけてきた。彼はイスラム服を身に纏いターバンを被っていたが、英語が流暢だった。

『どこから来たんだ?』

そう優しく訊ねてきてくれた。ただ、この質問はこの後毎日訊かれることに。笑

テヘラン市内へはバスを使った。バスはほぼ満杯だったが、何とか一つだけ空いていた席を確保した。中にいた人たちが僕の荷物を乗せるのを手伝ってくれた。

隣りと前に座っていた男性2人が話をしていた。彼らはトルコ人だった。

日本人の僕は周りの視線を感じる様になる。

すると、斜め後ろから僕に日本語で話しかけてくる人が現れた。

『ワタシハニホンニスンデイマシタ』

彼の名前は Ali アリ。20代後半で、大阪で物理学を勉強し大学院に通っていたと言う。おそらくエリートなのだろう。日本語より英語の方がいいと言って、英語で会話をしたけど、日本語も十分にできるはずだ。

僕は Ali に行き先を告げると、どこで降りればいいかを教えてくれた。そこで彼もバスを降り、ここからはタクシーで行けばいい、とタクシーも拾ってくれた。

そういう Ali は自分の家がイラン北西部の町、Tabriz だと言い、バスターミナルに向かうと残しそこで別れた。

イラン人は優しい。これだけのことでは言えないけど、そんな予感がした。

と同時に、Ali が僕に最後に言った、

『Don’t trust anyone』

この言葉は、少し僕を身構えさせた。

タクシーに乗って少し歩き、宿の Mashad Hotel に着いた。

昼過ぎから外にでて、まずはバザールに向かった。特に探しているものも無かったが、人々の雰囲気、活気を感じ、そして自分の足でこの地を歩きたかった。

『チン!』と僕に声をかけてくる人がたくさんだ。みんな僕を中国人だと思ってる。

でもそんな事はもう気にしない自分。

笑って『ジャパーン』というだけで、向こうも『おお、日本人か!』と笑ってくれる。

イラン、いいよ。バスで感じた臭さや、バザールのうるささ。

この感じ、大好きだな。

shin

これからイランの話をしよう。

昨年の11月、イランに行ってきました。

なぜイランに行ったのか。行く必要があったのか。きっかけは何だったのだろうか。

その問に対する答えは、いつも通り感覚のみが知るものだった。

それは自分の謎に満ちた国への好奇心だったり、ひとから聞いた情報によるものだったり、単なる現実逃避だったりする。

でも、この中だと、ひとから聞いた話によるものが大きかったのかな、と思う。

それはエディンバラで出会ったドイツ人の Phil から聞いた話。

今まで旅行した国の中でどこが一番よかったか、という旅行者の間では必ずや訊くような質問に、彼は即座に『イランだね』と答えた。

他の人のブログなども読んでみると、イランについて悪い印象を持っている人が見当たらない。

みんなそろって、『いい国だ』『人が親切』『また来たい』と書いていた。

でも、普段生活している中で、僕たちがイランに対して抱いている印象はどういうものだろうか。

『反米・反イスラエル』『核兵器』『怖い』『テロ』…

このような言葉が並ぶのではないだろうか。

メディアの影響だろうか、僕自身も、どうしてもイランに対する先入観は、こういったものだった。

しかしやはり自分の性格を一番わかっているのは自分自身なわけで、『行って確かめたい』という想いが何よりも強かった。

そして行ってきました、イラン。

shin

あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。
– 村上春樹『風の歌を聴け』

Eastern Europe ~ Balkans. 2012 Spring

こんなルートでした。


より大きな地図で Krakow-Athens を表示

今考えても急ぎすぎな道程。笑

shin

自分のポジションで。

『人は与えられたポジションで成長する』

先日父に言われた言葉。

就職活動で「私は御社でこんな仕事がしたいです!」とアピールする事があるけど、

そして自分も言うけど、

自分にとってはそこまで大きな意味を成さないと思う。(もちろん、その会社で何がやりたいという明確なビジョンがある事は大事)

『人は与えられたポジションで成長する』

僕は、何がやりたいという事をアピールするよりも、自分に与えられた仕事に対して真摯に向き合って、いかにそれを今後の人生に繋げられるか、を大事にしたい。

今、就職活動というポジションを与えられてるとするなら、背を向けたくはないな。だから自分が納得いくようにやろうかなーなんて思ってます。

地に足をつけて。

shin

挫折は過程。最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ。
– 本田圭佑

答えはない、という答え。

日本で就職活動をするにあたって、必ず訊かれるであろう質問は【なぜ留学したのか】ということだと思う。

なぜ、就職氷河期とも言われるこの時期に留学をしたのか。なぜ、学生の内向き志向が指摘される中、自分は留学をしたのか。

正直に言うと、それは僕自身が一番知りたい。笑

けど僕以外に知り得る人はいないわけで、自分で探す以外に他はなかった。

以前も少し書いた記憶があるけれど、僕は留学期間中、この問いに対する答えを見出そうと、事あるごとに自分自身に問い続けてきた。

新しい人と出会う度、知らない価値観に触れる度、ベッドで横になって目を閉じる度…。

もはや、習慣にさえなっていたように思う。

でも、

答えは見つからなかった。

- - - - - -

これを読んでくれている人からすると、一年卒業を遅らせて、色んな人に迷惑をかけて、自分が留学をした理由さえわからないなんて、失礼なやつだと思うかもしれない。

自分でもそう思って葛藤を抱えていた時期があった。

ただもちろん、表向きな理由はあった。

英語力を伸ばしたい、国際交流がしたい、親元を離れて自立したい、とか。でも、そんなのは正直どうでもよかった。

表向きなものとは別の、もっと自分の中にある理由を知りたかったから。

直感を辿ることだってできるはず。本能にも、何かしらの訳があるはずだと思ったから。

- - - - - -

そもそもこう考え始めたきっかけとして、ある出来事を鮮明に記憶してる。

それは大学3年の秋、まだ留学が決まってもいない頃。留学の書類は提出していたものの、本当にこれでいいのか、行くべきなのかを迷っていた。同時に、就活も少しずつ始めていた。

当時、学内の就活イベントで先輩内定者との相談会みたいなのがあって、そこで他のみんなが就活のノウハウや企業選びのポイントなどを質問している中、

僕が『そもそもなぜ就活をしようと決めたんですか?』と質問したら、嫌な意味で心に刺さる答えが返ってきた。

『3年の秋からは就活して当たり前。それ以外に何があるの?』と。

その言葉は、留学に近づけたとは言えないものの、僕を就活から遠ざけたのは事実。初めて異国に来たかのような違和感、孤独感、自分が場違いな感じがした。

今でもあの場面を思い出すと胸くそ悪いくらい。

それ以来、『当たり前とは何なのか』という疑問が頭から離れなくなった。このまま当たり前のように就活して、卒論を書いて、卒業して、就職して…それが日本らしいということなのか。

単純に僕が日本人らしくない日本人なのか。違和感を感じつつ、日本人らしく就活するのか。

それともらしくない日本人として、違うことをするか。

留学なんて大した事じゃないし、偉くもない。でも、僕が自然と辿り着いた場所は、エディンバラだった。

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結局僕が漂着した先は、【答えはない】という答えだった。

そして今までの自分が、答えばかりを追い求めていたということに気がついた。

1 に 1 を足すと 2 で、2 に 2 をかけると 4 だけど、何だか、自分はこんな簡単な計算のように、人生も歩んでいこうとしていた気がする。

順風満帆な人生なんてあり得ないんだろうし、答えの見えた人生なんてきっとつまらない。

何事も答えを見出そうと努めることは良いこと。ただ、答えが見つからなかったとしても、そのプロセスがいずれ活きてくる。考えるという行為自体が、何よりも大切だということがわかった。

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結果として【なぜ留学したのか】という問いにははっきりと答えることは出来ない。

もしかしたら10年後、20年後になって初めて気付くことかもしれない。或は一生わからないことかもしれない。

でも、それでいい。

今ではすごく、納得してる。

shin

—自分で読んでみたけど、いまいち何を言ってるのかがわからない。笑—

素敵な友人、後輩と再会。
不思議と、留学行く前にみんなと最後にいつどこで、どんな場面でさよならを言ったのかをはっきりと覚えてる。
他の人はあまり覚えてないけど。会えば思い出すかなぁ。笑

素敵な友人、後輩と再会。
不思議と、留学行く前にみんなと最後にいつどこで、どんな場面でさよならを言ったのかをはっきりと覚えてる。
他の人はあまり覚えてないけど。会えば思い出すかなぁ。笑

I’M BACK BABY

という言葉を、前年度に留学していた友人が日本に帰国した際に Facebook でほざいていました。

僕にはそんな自己顕示欲満載なことを出来るはずもなく、Lady Gaga 並みに極秘で日本に上陸しました。

ただ、Lady Gaga と違って僕はしばらく日本にいる予定です。Gaga はすぐどっか消えちゃうから。

あと僕と Gaga との違いと言えばせいぜい、あのグラマラスなボディと異常なまでの歌唱力くらいですかね。

僕どんだけファッションセンス奇抜なんだろう。

- - - - - -

Lady Gaga といえば、その奇想天外なセンスとアーティストとしての抜群の能力で、老若男女・国籍問わず世界中でその名を知られるスーパースター。

Gaga が奏でるパワフルな音楽と人々の心を鷲掴みにする歌詞は、混乱に満ちた世界をひとつにするのではと思う程の影響力を持つ。

それにより得た地位と財産を利用して何をしでかすのだろうと思いきや、なんと Gaga は数多くの社会貢献活動を始めた。

エイズ撲滅活動を始めとして、貧困支援、ハイチや東日本大震災の復興支援にも名乗りを挙げた。

僕たち日本人は、Gaga に対して感謝してもしきれない。しかし彼女は何も見返りを求めない。

Gaga が世界中から賞賛を浴びる所以は、ここにあると僕は思う。

つまり、どれだけの才能を持ち、それを武器に成功し、名声を得たとしても、自分自身に溺れず、謙虚且つ大胆に、世の中に貢献していく。

これが、彼女の根幹にある部分だと僕は思うんでs 、

って違う!!!

僕がしたいのは LADY GAGA の話ではない!!!!!!!!!

『Gagaはさ〜』とか言ってるけど、正直全然詳しくもない!!!

僕が言いたいことは、こういうことです!!

やっぱりGaga は、David Bowie と Stevie Wonder の影響を強く受けているけど、中でも Queen の色は確かに濃いと思うんだよね。ほら、Lady Gaga っていう名前も、Queen の Radio Gaga って曲からとってるのは明らk…

ってもっと違う!!

しつこい!!!

僕が言いたいのは、こうです。

— 日本に帰ってきました。ただいま。—

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Lady Gaga には、新曲として『 I’M BACK BABY 』を発表してくれることを期待してます。

shin

Esfahan nesf-e jahan
イランへ。
これからイランの話をしよう。
"あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。"
Eastern Europe ~ Balkans. 2012 Spring
自分のポジションで。
"挫折は過程。最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ。"
答えはない、という答え。
I’M BACK BABY

About:

Scotland・University of Edinburghへのから帰って来ました。

僕は何を経験し、考えるのでしょう…
たくさん楽しいことしたいなぁ。



僕ってどんな人間なんでしょうかブログ。

旅行ブログも兼ねて。

現在シュウカツ中。

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